けろこ堂日乗(β版)

けろこ堂日乗のHatenaブログ版です。

中世賤民の宇宙

昨年逝去した阿部謹也の著作集である。阿部の著作としてはなんと言っても「ハーメルンの笛吹き男」が有名であり、亭主の認識もその程度だったが、どちらかというと読み物的な「ハメールン・・・」とは異なり、この著作集は著者の中世に対する学術的洞察が中心となったハードな内容である。
亭主は「社会史」という学問分野に明るくないので、わかったようなことを言うつもりはないが、この本のタイトルとなっている「中世賤民」に著者が着目したことの背景には、網野善彦の影響があったことは想像に難くない。このことから考えれば、著者がさらにフォークロアに接近することもあり得たと思うのだが、それは歴史学者としてのスタンスが許容しなかったのだろうか。解説によればこの著作集は、そのような学問的分水嶺にあたるものだということだ。
亭主が一番面白く思ったのは、この本の最後に収録されている「ヨーロッパの音と日本の音」という講演記録に基づく小論だ。著者も自ら「あくまでも試論にすぎない」と述べているとおり、着眼点が述べられている程度のものだが、非常に興味深い。
阿部によれば、中世における聖なる音楽は教会のモノフォニイに限られており、その楽理は神学的根拠に基づいて厳密に構築されていたが、一方では世俗に満ちあふれるポリフォニックな音楽があり、これら「悪魔の音楽」が「聖なる音楽」をかき乱していたのだという。こうした「悪魔の音楽」の存在は宇宙の統一を使命とする教会の主意に沿わなかったことは言うまでもないが、だからといって世俗の音楽を規制することは不可能だった。そこで教会はポリフォニイをその楽理に取り込み、モノフォニイよりもさらに宇宙の調和にふさわしいものとすることで二つの音楽の統一を目論んだ、というのが阿部の仮説だ。
亭主はこの仮説に対して異論がなくはないが、歴史学者がこうした形で音楽の成立にふれた例をあまり知らないので、非常に興味深く思った。特に教会の音楽においては、モノフォニイの範疇においてさえ「悪魔の音階」と呼ばれる禁じられた音階があったことを考えると、このような中世のキリスト教会によるコスモロジイを踏まえた議論は、あながち的外れとは思えないのだ。
残念ながら著者はすでに鬼籍に入り、この音楽論のその後は知るよしもない。

中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)

中世賎民の宇宙―ヨーロッパ原点への旅 (ちくま学芸文庫)

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)