けろこ堂日乗(β版)

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スティーブ・ジョブズのいない世界

スティーブがこの世からいなくなるということが、現実になってしまった。
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8月末の引退宣言から1月あまり。早すぎた。
56歳という年齢は、亭主にとっても人ごとではない。

こんな機会でもなければ書き残すこともないだろうから、Appleと亭主の関わりなどを思いつくまま並べてみよう。

亭主が初めてAppleの存在を知ったのは、大学1年のころ。
当時は、大学の大型計算機センターに入り浸り、パンチカードでFortranやSNOBOL4のプログラムを書いていた。カードをリーダーから読み込ませて、結果がラインプリンターから出力されるまで、食堂に行ってランチを食べてくることができた時代だ。
そのころは、目の前のモニターにプログラムが打ち込めて、あっという間に結果がかえってくるマイコン(当時はパソコンという言葉はまだなかった)はまさに夢の機械であり、その頂点こそApple IIに他ならなかった。
それから5年ほど後、亭主は某新聞社で次世代の経済分析システムの設計に取り組んでいたが、その時に発表されたのが、Apple Lisaだった。もはや知る人は少ないが、このMacintoshの親とも言うべきマシンを会社に無理を言って買ってもらい(約200万くらいしたはずだ)、初めて使ったときの衝撃は忘れることができない。Macでおなじみのオブジェクト指向のデスクトップが、たどたどしいながら確かに動いていた。それは、Xeroxのデモ映像でしか見ることができなかったクールな世界で、これからのコンピュータのマンマシーン・インタフェースはこれ以外にはあり得ないと直感した。そして実際にそうなった。念のため断っておくが、PC-9801が出たばかりの頃であり、もちろん日本ではWindowsはおろかMS-DOSの販売すら始まっていなかったころの話だ。
Lisaは営業的には大失敗に終わったが、そのDNAはMacに受け継がれ花開く。しかし、まもなくジョブズはスカリーに追われてAppleを去り、NeXTを創立する。このNeXTは、NeXT STEPというユーザー環境を備えていたが、そのカーネルはMACH(マッハ、米国ではマックと読む)というBSD系OSだった。このコンピュータは、パソコンというよりはSunのSparcのようなパーソナルワークステーションと呼ぶべきもので、亭主がこれまで使ったことのある全てマシンの中で最もクールなものだ。ジョブズはNeXTの筐体デザインにfrog Designを起用したが、彼のデザインへのこだわりはこの頃から明確になってきたように思う。現在のMacOS Xには、NeXT STEPのオープンソース版(カーネル非依存化されたもの)であるOPENSTEPの技術が継承されている。つまり約20年前に、現在のMac OS Xの基礎はすでに存在していたのである。
1991年から1998年ごろまで、亭主のメインマシンはMacだった。最初はMac Classic、その次はMac IIciだった。生まれて初めてローンを組んで買ったIIci(確か本体だけで40万くらいしたはずだ)はいまだに手元にある。ジョブズが在籍中のApple製品はどれも高くて手が届かなかったが、スカリーが価格競争力を見直した結果30代のサラリーマンにも手に入るようになったのは皮肉なことだ。IIcシリーズはMacのプロセッサがPowerPC系に切り替わる前、つまり68000系CPU時代の主力機だったが、非常に拡張性の良いマシンだった。そのため、様々な周辺機器だけでなく、グラフィクスやCPUのアクセラレータといったアドオンボードサードパーティから発売され、DTPDTMの世界で広く使われた。当時のIBM-PC互換機(この言葉自体が死語だが)はWindows95の時代であり、Mac IIと同じような作業環境は望むべくもなかったし、動作は重くて頻繁にフリーズした。当時亭主は海外出張が多く、必要に迫られてThinkpad535を持ち歩いていたが、メールの送受信とMicrosoft Office以外の用途に使うことはなかったように思う。趣味や創作のためのツールとしてはMacのほうが優れていたからだ。
スカリー、スピンドラー、アメリオと続いた体制下のAppleは、ビジネス市場での販売拡大を狙っており、いまのAppleからは考えられないようなアグリーなマシン(PowerMACシリーズやPerformaシリーズ)を次々と送り出した。この展開がAppleの業績をどの程度改善したかは亭主は知らない。確かなのは、多くのMacファンがこのAppleの姿に失望し背を向けたということだ。かくいう亭主もその1人だった。
その後、スティーブはAppleに返り咲き、iMacを爆発的にヒットさせ、iPodで音楽の聴き方をひっくり返したのは周知のとおりだ。亭主は復帰してからのジョブズをカリスマ経営者として持ち上げる風潮が嫌だったし、何よりもiMac以降のMacは外箱のデザインを取り替えているだけのようにしか見えず、結局Macを手にすることがないまま今に至っている。ユーザーインタフェースもアーキテクチャも20年前から画期的に進歩したとは到底思えず、それなら安くて自分の思い通りに作れるDOS/V自作機のほうがはるかに楽しかったからだ。
結局、そんな亭主が久しぶり手にしたApple製品はiPadだ。「2001年宇宙の旅」に登場するタブレット型端末を実現したのがIBMではなくAppleだというのはいささか皮肉な符合だが、このプロダクツで久しぶりにスティーブらしいデザインを見せてもらったように思う。インタフェースもOSもiPhoneと同じものにすぎないが、同じ機能でも、あの大きさ、あの厚さの板として実現したことこそがデザインの価値だ。その仕様がどのように決まったか知るよしもないが、少なくとスティーブの「センス」の賜物であることは疑いようもない。少し理屈をつけるなら、ジョブズとウォズがApple創設以来追い求めてきた「パーソナルなデバイス」がiPadによってひとつ完成に近づいたのであり、それを可能にしたのは何よりも、ジョブズの「センス・オブ・ワンダー」だと思うのだ。
iPadが世に出なければ、亭主がこの記事を書くこともなかっただろうし、これほどスティーブの死を残念に思うことはなかっただろう。今はまだそれほど明らかではないが、10年後にはiPad以前と以降でパーソナル・デバイスの流れが大きく変わったと言われるようになると亭主は考えている。そして、そういう時代に生きていることを幸せに思う。
そういう幸せの何割かは、間違いなくスティーブのおかげなのだ。

Thank you, Steve. And goodbye.