けろこ堂日乗(β版)

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CONCORSO D'ELEGANZA VILLA D'ESTE 2009 ランボルギーニ博物館編

今年のVilla d'Esteに金融危機の影が無かったといえばウソになる。今日の自動車が工業製品であると同時に高価な耐久消費財であることを考えれば、世界経済の影響を被ることは避けられない。これはもはや小学生でも知っていることだが、しかし、その影響は思ったより深い。
今回のVilla d'Esteは、いつになくピニンファリーナの影の薄いものだったが、同社の経営難はすでにマスコミが報じる通りだ。前回書いたようにベルトーネは事実上の破綻に陥り、様々な支援によりかろうじて業務を再開した状態だし、ザガートもインド系企業の資本参加を仰いだ。ポルシェはいまやフォルクスワーゲンの傘下となり、ロールスロイスBMWグループである。
このような業界再編は過去にも例があっただろう。しかし、近年のそれはグローバライゼーションというコンテクストの中で進行している点で、新しい動きだと言うべきではないだろうか。そのグローバライゼーションも当初は日産とルノーのように国際的市場を持つ企業の間のことだったのが、いつのまにか極めて趣味性の高い車しか作らない企業の間にも浸透してきているのだ。こうした動きが「車」というプロダクツの将来にどのような影響を及ぼすかは、まだ憶測以上のことは言えないだろうが、新しい「車」の誕生をめぐる悲喜こもごものドラマは、ますます激しく、しかし依然としてひっそりと繰り広げられるに違いない。:h300
今回の旅の最後に、そうしたドラマの主人公である一台に出会うことができた。昨年のブログにも書いた、ランボルギーニディアブロの後継車として開発していたProject L147の一台、カント(KANTO)である。
亭主ら一行は、ボローニャとモデナの中間あたり、サンタガータ(Sant'Agata Bolognese)という町に本拠を構えるランボルギーニ(http://www.visit-lamborghini.com/#museum)を訪れた。ここには工場に隣接してミュージアムが設けられており、歴代のランボルギーニの何台かが展示されている。その中にはProject L147によって開発された、原田則彦(ザガート)によるカントと、マルチェッロ・ガンディーニによるアコスタが含まれているのだ。
時系列では、アコスタがカントに先行したといわれているが、実際にはほぼ同時進行の競争試作であったらしい。この競争試作は結局カントの勝利によって幕を閉じるはずだったが、時代の神はこのイタリア娘からミラネーゼ(実は半分以上ジャポネーゼ)風の装いを剥ぎ取ってしまった。かわりに登場したのがゲルマンの鎧に身を固めたムルシエラーゴであることは言うまでもない。
この物語の背景には、アメリカからインドネシア、そしてドイツへと二転三転したランボルギーニのスポンサー交代があった訳だが、1990年代とはそうした世界的なシャッフルが超高級車業界にも及んだ時期だった。
ランボルギーニ・ムゼオに身を寄せ合ってたたずむ二台のプロトタイプは、かつての激戦をよそに、時代の神の気紛れを静かに語り継ぐばかりだ。













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原田則彦によるランボルギーニ・カント。量産が決定されながらキャンセルされた幻の「量産モデル」である。カウンタックともディアブロとも違う造形は、原田がスーパースポーツカーに寄せる情熱の昇華と評するしかない迫力を持っている。ラプターでも用いた文法が随所に取り入れられており、エンジンと動輪の前進性を象徴するグラマラスなリアクォーターのマスは、その後の原田の造形におけるキーポイントとなった。また、ザガートのアイデンティティであるダブルバブルルーフが控え目に採用されている点にも注目したい。カウンタックの現代的解釈であるムルシエラーゴとは全く異なりながら、ランボルギーニの血を強く感じさせるデザインに仕上げたのは見事である。(このデザインをピエヒ会長が「フランボワヤンだ」と評したという逸話が事実なら、そのセンスを疑わざるを得ない。)ガンディーニのデザインを見て育った原田が、自らのデザインした車によってガンディーニに勝利した時の感慨は推し量る術がない。









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カントとの競争試作に敗れたアコスタ。このプロトタイプの詳細については情報が少なく、日本ではROSSOの2008年4月号に掲載された記事が最も詳しいのではないかと思う。写真からも分かるとおり、ガンディーニディアブロの後継としてのデザインを強く意識していたことは明らかだ。その試みが成功したかどうかについては、首をかしげたくなる点も多いが、世の中には「ランボルギーニのフラグシップはガンディーニに」と願う顧客も少なくないのであって、その点ではこのデザインも決して悪くはなかったはずだ。実物を間近に見た感想を言えば、新鮮さと躍動感という点でカントがアコスタを明らかに凌駕している。亭主はガンディーニを昔から尊敬しているし、その作品にも好きな車が多いのだが、このアコスタに関しては今一歩という感を免れ得なかった。