けろこ堂日乗(β版)

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貧民の帝都

鮫ヶ橋、万年町、新網町、新宿南町。
この町の名をみて、東京四大スラムとわかるなら、かなりの東京通であろう。
江戸非人頭の評伝を著している塩見鮮一郎が「東京養育院」の誕生から消滅にいたる軌跡を様々な史料に基づき丁寧に追いかけたのが本書。これはかなり凄い本だ。表題のインパクトもかなりのものだが、内容も「東京養育院」の歴史だけでなく、「七分積金」に始まる救貧政策の歴史、日本における救貧運動の先駆者のこと等が的確にまとめられていて読み応えがある。もとより学術書ではないから、著者の思い入れがたっぷり込められているが、それはバイアスというよりも、このテーマに関する著者の態度表明というべきだろう。
「東京養育院」とはどのような目的でつくられ、どのような施設であったのか。そして渋沢栄一が、長きにわたりその院長を務めたのはなぜか。こうした疑問に対して、ひとつの解を提示してくれる貴重な一冊だと思う。
著者は、渋沢栄一が七分積金に目をつけて、これを東京のインフラ整備に転用し、ついにはその蓄えをほとんど使い切ってしまう一方で、東京養育院の設立に尽力し運営資金の調達に奔走する姿を、わりとニュートラルな視点で描いている。亭主は筆者が参照している史料のどれも目を通したことがないので、断言はできないがこの渋沢像は他に類をみないように思う。
亭主の職場は以前四谷にあり、鮫ヶ橋も通ったことがある。新宿通りから鮫ヶ橋方面に向かって下る円通寺坂は、かつての別名を乞食坂といったという。大きくカーブした坂の下はやや入り組んだ道筋が谷底であることを物語っているが、かつてのスラムを思い起こさせるような街並みは微塵も残っていない。ただ、JRのアンダーパスの手前にある「ふたばなんげん保育園」が、この場所の歴史を物語る唯一の証人であるかのようだ。JRをくぐりぬければ、正面は東宮御所。左手には愛子様がデビューした公園がある。

貧民の帝都 (文春新書)

貧民の帝都 (文春新書)